日本の文化を、フィールドワークを重視して学ぶ学科。

杉町 理紗(すぎまち りさ)さん 文学部 日本文化学科 3年

日本文化学科を選んだきっかけは何ですか。

高校生の時、魅力的な国語の先生に出逢ったのがきっかけです。授業が面白く、次第に学習することが楽しくなっていったのです。日本文化学科は、国語の中学校・高校教諭1種免許状を取得することもでき、愛知学院大学での学びを通じて、そんな体験を生徒に与えられる先生になりたいと思い、選びました。

大学の講義を受けて、どんな印象を持ちましたか。

新鮮な内容に感銘を受けました。例えば現在も学び続けている言語学。普段、何気なく使っている日本語でも、客観的に考えると、様々な特徴が浮かび上がってきます。謝罪の言葉をひとつ取り上げても、「すみません」「ごめんなさい」「申しわけありません」など多々あり、それぞれにふさわしいシチュエーションや用いるべきニュアンスがあるのです。

興味深い話です。日本文化学科について具体的に教えてください。

モットーは、「文化探求現場主義」です。机上だけでは接することのできない〈生きた〉文化を学ぶために学外へも出て、様々な専門領域から文化研究を展開しています。4つの専門領域から日本文化を多角的に学び、体験を通じて理解を深めていきます。その中で、理論に根ざした実践力と、美に対する価値基準や芸術性、思想に基づいた感性などを育むベースとなる「読む力・書く力・話す力」を磨いていきます。

4つの学問領域について教えてください。

「言語」領域では、日本語を中心に幅広い視点から言葉について学びます。「文学」領域では『古事記』や『源氏物語』などの日本文学の根幹を考えるための重要な古典文学から、夏目漱石などの近代文学までに目を向け、世界の中の日本文学という視点で学習します。「思想と芸術」領域では、思想と芸術に関する分野を幅広く学び、博物館・寺社を見学したり、書道での創作を通じて芸術を捉えたりします。 「社会と民俗」の領域では、社会学と民俗学を主軸に、社会・民族調査などを展開。対象となる土地の人々からの聞き取りや観察によるフィールドワークを行います。

「文化探求現場主義」というモットーも興味深いですね。

文化には、現場に行って直に体験しないと理解できないことが数多くあります。だからこそ、見たり感じたりすることで初めて見えてくるモノを探求するフィールドワークを重要視しているのです。振り返ってみると、私自身も、何かを行う際、気になる場所があればまず足を運んでみたくなる性格なので、結果的に自分に最適な学科を選んだのだと実感しています。


被災地で受けたショック。刻まれた無力感。

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2・3年次に東日本大震災のボランティア活動に参加したと聞いています。参加のきっかけは?

震災が起きた年である1年次には募金のみを行ったのですが、何か違和感を覚えたのです。募金ももちろん被災地のためになるとわかってはいます。でも、もっとできることがあるのではないかと考えました。もし次の機会が得られるならば、自分の力で被災地の人たちのためになる"何か"がしたいと思ったのです。それで、2年次に学内で募集された際に、応募しました。東日本大震災のボランティア活動は、大勢の参加希望者がいるので、説明会を経てエントリーシートによる選抜で人数が絞られました。私は、思いの丈を書き連ねた内容が良かったのか、参加することができました。

東日本大震災のボランティア活動の概要を教えてください。

私たちの班の活動日程は、2012年8月6日から11日の6日間でした。18名ごとの3班で被災地へ向かいました。現地に到着して1日目は、陸前高田市、大船渡市をバスでまわって視察。その日のうちに大船渡市に入り、地元の七夕祭りに参加し、翌日は、片付けを手伝いました。3日目は気仙郡住田町の仮設住宅でお茶会を実施。仮設住宅の方たちとお茶やお菓子を楽しんだり、子どもたちとゲームをしたりしました。4日目には、現地のボランティアセンターの指示で、田んぼの側溝に詰まった泥出しと、掘り出した泥を土嚢(どのう)にする作業を行いました。

感想を聞かせてもらってもいいですか?

何より、視察で感じたのは、言葉にできないほどの大きなショックです。陸前高田市には、壊れた体育館や市役所が手を付けられずに残っており、車の通る道はあるものの、脇に寄せられた瓦礫(がれき)は山となったままでした。メディアの報道などで取り上げられることも少なくなってきていたこともあり、惨状を見た瞬間、愕然としたのを覚えています。泥出し作業も同様です。海が見える場所でもないのに、側溝には大量の貝殻が埋まっていたのです。その上に雑草が大量に茂っている状態ですから、当然、田んぼには稲も生えていません。

1年以上過ぎていてもそんな状況だったのですか…。

震災直後に比べて被災地の様子を伝える報道は随分と減りました。情報が届かなくなれば、離れた地に住む多くの人は「復興は随分進んだのかもしれない」と勝手に思い込んでしまう。だから、現地の状況を目の当たりにした時に、ギャップが生まれる。「一年以上過ぎていても」ではなく、本当は「一年ちょっとしか経っていない」なのだと思います。やらなければいけないことが、被災地にはまだまだ山ほどあるのです。

そんな中でも、仮設住宅で実施したお茶会には多くの方が来てくれたのですね。

子どもからお年寄りまで、仮設住宅にお住まいの様々な方がいらっしゃいました。一緒にお茶を飲んでお話をしたり簡単なゲームなどをしたりして、楽しんでくれていたように思います。実施した日にちょうど出張美容室が来ていて、その待合室代わりにも使ってもらえていました。ただ、やはり、この活動期間内に出会った多くの方が、私たちボランティアのメンバーに気を遣ってくれていたように思います。無数のボランティア団体が訪れているので、対応に慣れているとも言えるかもしれません。しかし、全体を振り返ってみると、私たちの活動は本当に役に立てたのか、本当に被災地の方たちのためになることができたのか、と大きな無力感が残りました。そんな思いを抱いたまま、被災地を後にしたのです。


自分を媒介に、地域の人と人をつなげる活動。

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地元に帰って、被災地で体験した無力感は解消できたのでしょうか。

しばらくはぬぐい切れないままでした。でも自分の中で「何かしないと」と思って参加したのが、愛知県長久手市のはなみずき通りで毎年開催されている「ながくて冬まつり」です。東日本大震災のボランティア活動で私の班のリーダーをしていた友人と協力して、被災地の現状を届けることを目的としたブースを出展しました。考えたのは、私たちが「今、地元で被災地のためにできることは何か」でした。それで思いついたのが、東日本大震災のことを忘れてはいけない、というメッセージをできるだけ多くの人に伝える活動だったのです。

地元でできることを見つけたのは素晴らしいですね。街の人の反応はどうでしたか?

印象に残っているのは、ふらりと立ち寄ってくれた幼い子とそのお母さんです。私たちが写真などを用いて紹介していた被災地の状況を見て、子どもはよく理解できていない様子でしたが、お母さんが東日本大震災のことをわかりやすくかみ砕いて説明してくれていました。伝えることの大切さと意義をおぼろげながら実感した瞬間でした。また、出展して良かったと思えたことが、もう一つありました。「リニモ沿線合同大学祭実行委員会」との出合いです。

「リニモ沿線合同大学祭実行委員会」とは?

「お互いに助け合える街づくり」を理念に、リニモ沿線にある大学の学生が集まってリニモ沿線の街で訴えかけ、人のつながりを育む活動を行っている団体です。2012年に創設されました。「大学祭」と冠がついていますが、2月に行われるリニモ沿線合同大学祭の開催だけが目的ではなく、目指すのは理念の実践です。その過程として、先述した「ながくて冬まつり」をはじめ、長久手市の様々なイベントの運営にも携わっています。発足のきっかけは、創設メンバーが東日本大震災の支援活動をした際に、被災地の方が、「この街で多くの人が命を落とさずに済んだ理由は、街のみんなが顔見知りだから安否確認ができたこと」と話してくれたことだと聞いています。

※リニモ(Linimo)……愛知高速交通東部丘陵線の愛称。日本初の磁気浮上式リニアモーターカーの常設実用路線として、2005年3月6日開業。同年に開催された愛・地球博の交通機関として活躍した。藤が丘駅から八草駅間を運行中。

印象に残っている活動を教えてもらってもいいですか。

つい先日、私が担当して行った、「リニモ」に「マルシェ=市場」を組み合わせた「リニマルシェ」という活動です。リニモ沿線の魅力的なお店をピックアップし、駅で訪れる人たちに紹介します。私たちが媒介となってお店の魅力を紹介することで、普段ならただ通り過ぎるだけの駅という空間が、地域の人たちとお店の出合う場所に変わる。本来ならば、そのお店に足を運ばなければ生まれないつながりのきっかけを、日常の中で、何気なくつくり出すことができると考えました。

出店交渉も杉町さんが行ったのですか?また、どんなお店が出店したのでしょうか。

メンバーのみんなで出店交渉を行いました。ただ、リニマルシェ当日はお店の営業があり、スタッフの方に来てもらうことはできず、私たちがお店の紹介をして、クーポン券を配布しました。出店してくれたお店は、和菓子をメインに販売しているお菓子屋さんと安心・安全をテーマにしているパン屋さんです。当日は、地元のマラソン大会と重なり、いつもはきっと急いで通り過ぎていく人たちも、ちょっとだけ足を止めて見物しているようでした。おかげで、私たちはお店の魅力をより多く伝えられた気がしています。リニマルシェを含め、リニモ沿線合同大学祭実行委員会の活動に参加し始めてから、リニモ沿線の街に対する私の気持ちが変わりました。以前は淡々と通り過ぎるだけの場所だったのに、街のことを知っていくうちに、どんどん好きになっていったのです。つながりが生まれるということは、街を好きになることなのかもしれませんね。


チームリーダーとして、再び東北の地へ。

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そして、3年次、再び東北へ。2度目はチームリーダーになった理由を教えてください。

実は、リニモの活動でもリーダーを任されそうになったことがあったのですが、役割の大変さを先に想像し、辞退してしまいました。「こうすればもっと良くなる」というアイデアが頭に浮かんでも、行動に移せなかったのです。また、1度目の東日本大震災ボランティアでは、与えられた仕事をこなすだけで精一杯でした。だから今回は、何としてもチームリーダーとして参加し、チームのみんなと共に様々なアイデアを実践したかったのです。エントリーシートには、そういった2度目の参加にかける思いを書き連ねました。その結果、望みを叶えることができたのです。

では、3年次に参加した東日本大震災ボランティア活動の概要を教えてください。

今回、活動した日程は、2013年8月21から26日までの6日間。2班体制で、私たちの班は岩手県上閉伊郡の大槌町へ向かいました。1日目はデイサービス施設、2日目から3日間は仮設住宅、あとは、現地視察や江岸寺訪問や参拝などの予定が組まれていました。被災地へ向かう前には、同じ班のメンバーと仮設住宅で何をやったら被災地の方々のためになるかを何度も話し合いました。前回実施した内容で引き続きやるべきこと、今回新たにやってみたいこと。様々なアイデアを出し合って決めた内容を被災地で実践しました。

具体的にはどんなことを行ったのですか?

初日に行ったデイサービス施設は、私たちが向かう2~3ヶ月ほど前に再建されたばかりの施設で、まだ修復しなければいけない部分が数多く残っていました。そこで、私たちは施設の花壇や畑を作るお手伝いをさせてもらったのです。2日目から行った仮設住宅では、事前に話し合った内容を実践しました。例えば、前回実施したお茶会。暑い時期だったので、現地で素麺を茹でて振る舞いました。多くの人に楽しんでもらえたように思います。

昨年の反省点や改善点を生かした内容を実践したのですね。

そうですね。他の活動としては、100~200個のお花の球根を持っていって、植木鉢に植えてプレゼントしました。私たちの班には3人のチームリーダーがいるのですが、その一人が昨年もその仮設住宅に行ってお花の球根を植えたところ、とても喜ばれたとのこと。実際、仮設住宅に着いてバスから降りようとすると、事前の連絡を聞いて、お花を楽しみにしていてくれた人が「お花ありがとう。待っていましたよ」と出迎えてくれました。そう声をかけてもらえるだけでも、来て良かったと思いました。

現地の方たちはとても温かいですね。

はい。私はその仮設住宅に初めて足を運びましたが、前回来たことがあるメンバーや職員の方に対しては、「去年も来てくれたね」と顔を覚えてくれていた方もいたようです。また、班のメンバーにおにぎりをつくって食べさせてくれる方もいました。その他、聞いた話によると、ボランティアの団体にお土産を持たせてくれる地域もあったそうです。気を遣ってくれるのはとても有り難いです。ただ、やっぱりそれでいいのだろうか、という疑問が、前回以上に心の中で大きくなっていました。


まっすぐな想いと行動が、新しい可能性につながる大学。

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再び行ったことで、疑問がさらに膨らんだということですか。

2度目は、仮設住宅に滞在している時間が長かった分、その思いが大きくなった気がします。もちろん、役に立ったことは必ずあると自負していますし、納得もしているのです。でも、被災地の方々にどこかで負担をかけているんじゃないかという前回溢れ出た思いを、打ち消すことはできませんでした。そして、地元に戻ってから、私たちは思い立ったのです。いまだ震災の爪痕が消えぬ日々を暮らしているにも関わらず温かく接してくれた被災地の方々や、お世話になった民宿の方々に、感謝の手紙を送ることを。

それは素晴らしいですね。ボランティアを行った側が、感謝の手紙を送るとは。

ボランティア活動に参加させてもらったことで、私たちが得たことは非常に多いです。また、私としてはリーダーを担当させてもらったことで、様々な点で成長ができた気がしています。面識のなかった同級生たちとも仲良くなれました。だから、感謝すべきことは沢山あるのです。ただ、みんなで再び集まることが難しかったので、それぞれに紙にメッセージを書いて、それを集めて色紙に貼って被災地へ送付しました。気持ちが通じたらいいなと思います。

2度の活動を通して、良い体験をされましたね。では、最後に、高校生へのメッセージを。

高校時代に勉強を頑張ったか?と問われると、正直、「はい」とは言えません。でも、私は吹奏楽部でフルートを、毎日のように一生懸命練習していました。好きだったこともあり、どんどん上達し、いつの日か、私の中に自信をくれる存在になっていました。大したことじゃなくてもいい。何かひとつだけでも一生懸命、夢中に取り組めば、必ず自分の中に何かを残してくれるのかもしれない、と思うのです。何でもいいので頑張った軌跡があれば、それは、何かに結び付いていくのではないでしょうか。今、目の前にある「できること」「したいこと」に、全力を注いでください。愛知学院大学なら、様々な可能性を受け止めてくれると思いますよ。


取材を終えて

取材中、自らの言葉をすべて肯定しきれず、迷いながら話す姿が印象的でした。東日本大震災のボランティアという素晴らしい活動に2度も参加しながら納得ができていないのは、被災地への思いが強いから。そして何より、現地の空気や文化を読み取り、自分という存在がそこでやるべきことは何なのか、を追求しているから浮かぶ考え方なのでしょう。ながくて冬祭りへの出展やリニモ沿線合同大学祭実行委員会の活動についても、同様です。自らを媒介にして被災地の現状を伝えたり、いつもなら通り過ぎるだけの空間に変化を与えて人と人をつなげたり。自分だからこそ、今いる場所だからこそ、できることを常に思案し、実行に移していく。そこにあるのは、フィールドワークの根幹であるとともに、社会における様々な活動の核になる部分だと感じました。そういった思いを持って取り組む杉町さんの気持ちは、きっと被災地に届いていると思います。今回は、素敵なお話をありがとうございました。

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