ご入団、おめでとうございます。

山内 晶大(やまうち あきひろ)さん 総合政策学部 総合政策学科4年 バレーボール部(男子)

パナソニックパンサーズへのご入団、おめでとうございます。
(2016年1月12日現在)

ありがとうございます。内定選手として入団させてもらいました。でも、すでに1月3日の試合から参加させてもらっているんです。同月10日には、初出場も果たしました。

進路としてパナソニックパンサーズを選択した理由を教えてください。

主に2つあります。まず、バレーボールを行う環境です。素晴らしい先輩が大勢いらっしゃることや、体育館やトレーニング室などの設備が優れていることが挙げられます。

もうひとつの理由は?

世界の舞台で活躍する選手が多く所属していることです。日頃からトップレベルの環境で練習ができます。例えば、世界で活躍するセッターの深津英臣さん。普段から一緒に取り組ませていただいていれば、国際大会に向けて集まった際、息を合わせるための準備は必要ありません。お互いの考えなども解り合えている状態で大会へ臨めます。これ、凄い環境ですよ。ふと振り返ると、この場所に立っている現状に感謝せずにはいられないです。様々な縁に導かれて、今、ここにいますから。

そういえば、中学生まではバスケットボールをやっていたそうですね。

はい。仲の良い友達が皆やっていたことなどが理由で小学校の頃から始めて、中学校でも、そのままバスケットボール部に入部しました。ただ、部の実績としては、それほど秀でた結果は残せていなかったように記憶しています。

なぜ、高校ではバスケットボール部に入らなかったのですか?

当時、私は身体の線が細かったので、激しいコンタクトプレーが生じることもある高校バスケットボールは、自分に合わないと思ったのです。部活動の見学をした際に、「この中でやっていけるかなぁ」と若干の不安を覚えました。その後、ハンドボール部に1日だけ体験入部しました。しかし、屋外という環境が、それまでずっと屋内で活動していた私としては馴染めず、入部には至りませんでした。


周囲を気にせず成長できた、高校時代。

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バレーボール部に入部したきっかけを教えてください。

体育の授業の時、担当教員でありバレーボール部の顧問だった志水先生が声をかけてくれたのが、入部のきっかけです。在籍していた名古屋市立工芸高校には、1年生の時は必ず何かの部に所属していなければいけない規則がありました。また、できれば身体を動かしていたいと思っていたので、志水先生のお誘いを断る理由はありませんでした。

バレーボールを始めて、どうでしたか?

最初は難しかったですね。未経験者だったので、バレーボールとして形になるまでに時間がかかりました。パスが出せるようになり、スパイクが打てるようになり、と徐々に様々なことができるようになって、面白さや楽しさを感じるようになっていきました。

壁にぶつかったり、挫折感を覚えたりすることはありませんでしたか?

ほとんどなかったと思います。入部した時、バレーボール部の部員は私を含めて6人しかいませんでした。未経験者とはいえ、私を入れないと試合もできないギリギリの人数だったのです。監督はもちろん先輩や経験者の同級生も皆、私の力を伸ばすために、熱心に優しく指導やアドバイスをしてくれました。その結果、人数が多いチームなら通常はあるはずのポジショニング争いもなく、周囲を気にせず練習に集中できたように思います。

山内さんの成長とあわせて、部の力も伸びていったのでしょうね。

部の実力は、それほどは伸びなかったように思います。マネージャーも入ってくるなど、部全体の人数は少しずつ増えていきましたが、戦績としては、地区大会以上は上がれなかったと記憶しています。ただ、個人的には、高校に入学後、身長もグングン伸びて注目を浴び、様々なチャンスをもらえたような気がします。身長の高さは、国体に出場するきっかけにもなりました。

高校では、身長はどのくらいあったのでしょうか?

高校に入学して、最初の健康診断時には182cmありました。2年生の時には192cm、3年生の頃には200cmあるかないかぐらいまで伸びていました。


植田監督の計らいと、不思議な縁に導かれて。

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愛知学院大学へはスポーツ推薦で入学されましたね。

実は、愛知学院大学の植田監督が市立工芸高校へ来校されたことがあり、その時に大学のパンフレットを手渡ししてくださったのです。当時、愛知学院大学の男子バレーボール部は1部リーグで強豪チームでした。志水監督からも薦められていましたので、入学を決めました。

愛知学院大学の男子バレーボールチームを見て、最初はどんな印象を持ちましたか?

聞いていた通りレベルが高く、私はまだまだ未熟だと感じ、じっくりと頑張っていこうと思いました。しかし、そんな私の意図には反して、高校時代と同じような状況が訪れてしまいました。入学直前の3月、私と同じポジションであるミドルブロッカーの先輩がケガに見舞われてしまったのです。高校の時と同様に、空いたポジションを埋めるべく、監督を含め先輩たちは私に対して非常に熱心かつ丁寧に指導してくださいました。

そういう経緯で、1年次から東海大学バレーボール春季リーグ戦に出場したのですね。

はい。ただ、最初は何をしても上手くいかず、たまに得点を決めるのが精一杯でした。周囲の期待には応えられていなかったですね。でも、最終戦の愛知大学戦で、なぜかプレーが一変したのです。スパイクやブロックが次々と決まりました。その結果、最終戦というタイミングの良さも手伝い、リーグに設けられている「最優秀新人賞」をいただくことになりました。

その勢いで2年次も成長を続けていったのでしょうか。

そうですね。成長する機会をたくさんいただきました。2年次には、7月頃に、植田監督からVプレミアリーグ所属の堺ブレイザーズへの練習参加を手配してもらいました。その時、堺ブレイザーズの監督を務めていらっしゃったのが酒井新悟氏でした。現在私も所属している2020年に向けた集中強化選手「Team CORE(チームコア)」の監督です。続けて8月には、今度は同リーグ所属のパナソニックパンサーズの練習に参加をさせてもらいました。

堺ブレイザーズやパナソニックパンサーズの練習参加は、恒例だったのですか?

いいえ。毎年実施されていることではありません。また、参加したのは私ひとりです。きっと、植田監督が、「こういう選手がいるから参加させてほしい」と頼み込んでくれたのだと思います。皆、身長が高く、ハイレベルな選手ばかりが揃っている企業チームという環境で練習させて、経験を積ませたかったのかもしれません。有難いことです。


スーパープレーにも、「いつかできる」と感じていた。

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企業チームの練習では、どんなことを感じ、学びましたか?

企業チームならではの「詰め込まれた技術」を学ぶことができました。例えば、スパイクについて。「打ち方」ばかりを重視しがちですが、その前段階にあたる「入り方」にも工夫が必要だと知りました。セッターから上がってくる低く素早いパスを素早く打つ「クイック」に際して、ネットに近い位置に入ると、相手に覆い被されてしまった場合、打つコースが限られてきます。でも、ネットから遠い位置に入れば打つコースが増えます。

そういうアドバイスは、企業チームの選手から言ってきてくれるのですか?

はい。僕がプレーした後に何気なく声を掛けてくれましたね。アドバイスする側としては、「これを伝えれば変わるだろう」とわかって言ってくれていたのかもしれません。ひとつ直すと、すぐに次の新しいアドバイスをくれましたから。

練習に参加して、自分のプレーは変わったと思いましたか?

そうですね。成長が実感として得られました。スパイクの入り方以外にも学んだことはたくさんあります。ひとつひとつの自分のプレーを見つめる上で、視野も広がりましたし、余裕も生まれました。多様な状況を想定するという意味で、練習に対する考え方も変わりました。

企業チームのスーパープレーを見て、自分には不可能だと感じることはありませんでしたか?

それは、ありませんでした。もちろん、その時「今はできない」と思わせられるプレーはたくさんありました。体つきも違いましたし、一つ一つの技のレベルも非常に高かったですからね。でも、ずっと不可能だとは、感じませんでした。練習や経験の量など、必要とする時間の長さは人によって異なるかもしれませんが、きっといつかたどり着けると、その時、私は思いました。高校の時、人数合わせから始めて、今の場所にたどり着けているわけですから、できないことってそれほどないんじゃないのかなと、考えました。逆に、新しく挑戦したいプレーが増えて、やる気が出ましたね。

挑戦させれば成長して帰ってくる。植田監督は、面白かったでしょうね。

そうかもしれません。「次は何をさせようかな」と常に考えてくれていたのかもしれないです。私の成長を見つめながら、次々と新しい挑戦をさせてくれたことに、あらためて感謝したいですね。


悩み抜いて練習し尽くして、考えるのをやめた。

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3年次には国際大会出場したわけですが、プレーする時の気持ちは変わりましたか?

プレーをしている時の気持ちは、高校で初めてバレーボール部に入部した時とほとんど変わっていません。どんどんやりたいことが増え、また、挑戦すべきことが見つかって、日々、面白くなっています。私はバレーボールを始めてからまだ10年もたってないんです。小学校や中学校から続けている方たちと比べたら素人みたいなものです。

国際大会に出場して、プレッシャーはありませんか?

あまり感じないタイプかもしれませんが、あります。初めてメンバーになった時は、責任の重みを感じました。練習している時以外でも一般の人から常に見られていることを意識していなければいけません。道を歩いている時、ショッピングをしている時、車の運転をしている時など、どんなシーンにおいても「国」の看板を背負っているんです。最初はピンと来ませんでしたが、先輩に言われて次第に強く意識するようになりました。

プレーにおいてプレッシャーを感じることはありますか?

はい。平凡なミスをしないように、常に自分にプレッシャーを課しています。全日本チームは海外のチームと比較して、どうしても体格面では負けています。必死に果敢にプレーしてやっと1点が獲れるんです。だから、平凡なミスをして貴重な1点を無駄にするようなことがないように心がけてプレーしています。

気持ちの持ち方が前向きですね。素晴らしいです。

もちろん、ある課題を克服できなくてプレッシャーを感じていた時期もありました。2015年9月に行われた国際大会前の練習においてのことです。監督からリクエストされたスパイクの打ち方が、何度、繰り返し挑戦しても上手くできませんでした。頭で考えながらプレーしているせいで、思い切りの良さもどんどん失っていました。結局、悩みを引きずったまま、大会本番へ。第1戦目はスタメンから外れ、ベンチから同世代の活躍を見つめていました。悔しかったですね。その翌日、第2戦目では途中から出場させてもらいました。いろいろ悩んでいましたが、私は、「もういいや!」と考えるのをやめて、コートへ向かいました。中途半端な考えを持ってプレーすることが、海外の選手に通じるはずはないと思ったからです。「思いっ切りやろう」その思いだけを頭に置いてプレーしました。結果、次々と得点をたたき出せました。続く、第3戦目でも、何度も得点に絡むことができました。


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ただ単に考えることをやめたのではなく、悩み抜いてからやめたことが結果につながったのでしょうか。

そうかもしれません。2015年秋の国際大会には、2016年のビッグイベントの切符もかかっていたので、余計、新しい技術を身に付けようと焦っていました。最終的に、スパイクのこと以外で監督から求められていた新しい技術は、自分のスタイルに組み込めたように思います。悩み抜いて、練習を繰り返し、開き直ったことで、ありのままの自分を成長させることができたと感じています。

今後の目標を教えてください。

2016年5月の国際大会を勝ち抜いて、8月のビッグイベントに出場することです。

では、最後に高校生へメッセージをください。

先ほど、色紙に一言書いてほしいと言われたので、「がむしゃら」と書かせてもらいました。今、私にとっての「がむしゃら」は、強豪国相手にしがみついてでも頑張る!という意味です。でも、「がむしゃら」になることは、いつだって大事だと思うのです。勉強でも、スポーツでも。決して闇雲に努力することではなく、迷い、考え尽くした上で、一つの目標に向かってとことん取り組む。そうすれば、必ず道は開けるのではないでしょうか。


取材を終えて

お話を聞けば聞くほどに、山内さんが、運命的な道のりを歩んでいることを感じずにはいられなかったインタビューでした。志水先生や植田監督をはじめとした様々な人たちに導かれ、また、確かな成長が育まれる環境で常にプレーしている。いい出会いや機会に恵まれた、というよりも、稀なる才能を、周囲の人やチャンスが放っておかなかったように思います。そして、その状況に対して、山内さんは常に自分なりの「がむしゃら」さで取り組んでいった。国際大会で活躍される今は、まさにその道のりの先にあるべき結果なのだと感じました。貴重なお話をしていただき、感謝します。今後とも頑張ってください。応援しております。

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